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大阪のメインストリート「御堂筋」の由来となっている北御堂と南御堂

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大阪を代表する道路といえば、メインストリート「御堂筋」を思い浮かべる人が多いと思います。

御堂筋と言えば、地下には地下鉄御堂筋線も走っていますし、漫画・名探偵コナンの第19巻で、コナンが初めて大阪に行った時にも「御堂筋」が出てきたので知っている方も多いと思います(たぶん)。一方通行って説明も出てきてましたが。

この御堂筋ですが、名前の由来があります。北御堂と南御堂が名前の由来になっています。

北御堂

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中央大通より北側にあるのが北御堂と呼ばれている、浄土真宗本願寺派本願寺津村別院です。

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当初は、「津村御坊」という名で、1597年につくられました。また、大坂誕生に立ち会った宗派ともいわれています(『中央区史跡文化事典』P.73より)。

”浄土真宗本願寺派と大阪の関係は古く、本願寺第8世・蓮如(れんにょ)が明応5年(1496)に石山御坊を現在の大阪城の地に建設したのが始まりとされる。・・・中略・・・。江戸時代は、その南側に1年後に建てられた難波別院とあわせて「御堂さん」として親しまれた。”

via:『中央区史跡文化事典』P.73

南御堂

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2013年10月13日撮影(普段はこんなのぼりは出ていないはずですが、、、)

もう一つは、中央大通より南側にある南御堂。正式名称は真宗大谷派難波別院です。

”天正11年(1583)、豊臣秀吉が石山本願寺跡に大阪城を築城。城下町を整備していくにあたり、石山本願寺に隣接していた建っていた大谷本願寺は、秀吉の名により慶長3年(1598)、現在地に移転した。”

via:『中央区史跡文化事典』P.86

これからの南御堂

南御堂にある建物「御堂会館」は老朽化のため、2016年1月に閉館しました。この御堂会館は、ホテル主体の複合高層施設に生まれ変わることになっています。

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2016年2月11日現在の南御堂。見慣れた茶色い建物が解体されていくようです。1ヶ月前の写真なので、3月10日現在ではもうだいぶ解体されてるかもしれません。

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