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眼から鱗が落ちまくりでした。特別展「村野藤吾 やわらかな建築とインテリア」

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充実した内容、面白かった!

日本を代表する建築家、村野藤吾の特別展が大阪歴史博物館で(10月13日まで)行われているので、見にいってきました。

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馬場町にある大阪歴史博物館です。右の建物はNHK大阪放送局です(写真は2013年5月4日撮影)

大阪歴史博物館

建築に興味があるので、村野藤吾については一応名前は知っていましたが、詳しいことは知らなかったです。この特別展でいろいろ知ることができました。

大阪を拠点とした建築家

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村野藤吾が設計した代表的なものと言えば、阪神百貨店・阪急百貨店・曽根崎警察署に挟まれた三角の空間にある梅田吸気塔(換気塔)が思い浮かぶと思います。その他には、現存しないそごう大阪店(現在の大丸心斎橋店北館の位置)など。

東京・日本橋にも事務所があったそうですが、基本、大阪を拠点としていた建築家でした(事務所は阿部野橋駅の南側にあった)。知りませんでした。

50代以降の活躍が目立つ

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▲綿業会館

戦前には、渡辺節建築事務所に入所し、ダイビル本館(中之島/現存せず)や綿業会館(中央区船場)の設計に携わっていました。

独立してから設計したそごう大阪店も戦前の作品ですが、実は、50代以降の活躍の方が目立つんですね。第二次世界大戦中の時で、村野藤吾は50代だったんです。戦時中は、作品を造る機会がなく大変だったそうですが、戦後にたくさんの作品を世に送り出しています。

河内国分で家を見つけ、宝塚の清荒神に移築

面白いエピソードありました。河内国分(柏原市)で住みたい家を見つけて、約40キロ離れた宝塚の清荒神に移築したそうです。発想がものすごいですね。

あれも村野さんの作品だったの?

目から鱗が落ちまくりでした。え??これも村野藤吾の設計だったの??という建物がたくさんあったんです。例えば、以下の建物。

・尼崎市庁舎
・大阪新歌舞伎座(閉鎖) [難波]
・きんえいアポロビル(旧近映レジャービル) [阿倍野]
・近鉄上本町ターミナルビル(近鉄百貨店上本町店)
・近鉄百貨店阿倍野本店新館増築(現存せず・現 あべのハルカス)
・近鉄劇場(現存せず・現 上本町YUFURA)

亡くなられた後に竣工した作品
・都ホテル大阪 [上本町]
・阿部野橋ターミナルビル新館(現 あべのハルカスウィング館・デザイン変更)

これらが実は村野藤吾の設計だったとはびっくりでした。いろいろ手がけてらっしゃったんです。あと、大阪市内の小さめの商業ビルもたくさん設計されていました。村野藤吾設計のビル巡りをしてみたいです。

▲都ホテル大阪(左)と近鉄百貨店上本町店(右)


戦後建築なので、重要視されにくく取り壊されることも多い

展示を見ていて思ったのですが、村野さんの作品の建物、結構取り壊されているんですよね。

建築家・村野藤吾のページ 作品一覧 – HeT architecture
村野藤吾 – Wikipedia

昭和の建築を代表する建物ばかりなのですが、戦後の作品が多いため近代建築の部類に入らないためか、どうも重要視されにくいようなんです。
2006年に、村野藤吾設計の世界平和記念聖堂(広島・1953年築)と丹下健三設計の広島平和記念資料館(1955年築)が戦後建築として初めて重要文化財に指定されたぐらい、戦後の建物は重要文化財になかなかならないようです。

おわりに

難波にある村野藤吾設計の新歌舞伎座も閉鎖され(村野藤吾設計の近鉄劇場を取り壊し再開発した上本町YUFURAに移転)、新歌舞伎座の建物は囲いがされたまま生殺しになっています。これはこれでもったいないな~と思ってます。

あそこは、再開発どうなっているのでしょうか?気になります。全然話聞かないです。

アクセス
大阪歴史博物館
・地下鉄中央線「谷町四丁目」駅 東改札より徒歩3分、
・地下鉄谷町線「谷町四丁目」駅 2号出口より徒歩4分、
・大阪市バス 62系統「馬場町」バス停下車すぐ

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