帝塚山といえば、関西を代表する高級住宅街の一つです。おおよそのエリアは大阪市の阿倍野区と住吉区にまたがるエリアが該当します。この帝塚山には、大阪市内では珍しい古墳があります。帝塚山古墳です。
帝塚山古墳は普段は公開されていませんが、2015年2月に開催された大阪市交通局主催の『まち・再発見・ぶらりウォーク』の特別追加編・『「竹鶴政孝とリタ」のまち住吉・帝塚山を往く』にて、特別公開がなされていたので見に行きました。
⇒過去記事「大阪 まち・再発見・ぶらりウォーク特別追加編:「竹鶴政孝とリタ」のまち住吉・帝塚山を往く(その1)」
帝塚山古墳とは
帝塚山古墳は、天王寺区の天王寺公園内の茶臼山古墳、生野区勝山通の御勝山古墳と共に、大阪市内における古代の三大記念物となっています、この3つの中で帝塚山古墳が一番保存状態が良いそうで、保存状態が良いという理由で1963年(昭和38年)に国の史跡に指定されています。1)
古代文化発祥の中心他である上町台地には、いくつかの古墳があったはずであるが、現存するものは少ない。そのうちの一つ帝塚山古墳は前方後円墳で比較的よく原形を残している。前方部が西南に向い周濠を伴ったようであるが、今はその痕跡をとどめていない。4世紀末~5世紀初築造、大伴金村(おおともかなむら)墓とする伝えがあるが不詳。
出典:『大阪市:18.帝塚山(てづかやま)古墳 史跡 (…>文化・スポーツ・生涯学習>生涯学習)』<https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009346.html>-2021年7月3日閲覧
大伴金村の墓とする説がある一方で、地元では浦島太郎の墓とする伝承もあったとのこと。2)
帝塚山古墳の様子
古墳の形状は、(おそらくもっとも有名な)鍵穴の形である前方後円墳となっています。大きさは全然違いますが、堺にある世界遺産にもなった大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)と同じですね。
1898年(明治31年)の陸軍大演習の際に明治天皇の登臨があったので、後円部(丸い方の)頂上には記念碑が立っています。
周辺の住宅地と比べて一段高くなって見晴らしが良いです。普段は入れないので中々貴重です。
帝塚山古墳は住吉区にありますが、西側を少し行くと住之江区になります。
帝塚山古墳から東方向を望んだ写真。入口は東側にあります。
この写真の先、100mほどのところに南海高野線の帝塚山駅があります。さらに先、東側に250mほど進むと阪堺上町線の帝塚山三丁目電停があります。
現地にある案内板です。
古墳周辺の様子
帝塚山古墳は、大阪市内でも標高が高い上町台地のさら上にあります。電子国土Webの地理院地図を確認すると、帝塚山古墳には三角点の地図記号があり標高19.9mとのことです。下記は電子国土Webの埋め込みです。
このあたり、地形がかなり複雑なことがわかると思います。近くを走る南海高野線は岸里玉出駅は高架駅なのに少し進むといきなり上町台地を掘割で通っていくことになるなど起伏が激しいです。南北に長い上町台地は、東側はなだらかな坂になっているのに対し、西辺は急峻になっていることが原因です。手塚山古墳の西側・住之江区側は急な坂になっています。
また、帝塚山古墳から北側、松虫通あたりまでの北畠・手塚山エリアは大阪でも数少ない風致地区に指定されており、水や緑などの自然的景観が残っているエリアなのです。
風致地区は、都市の風致を維持するために、都市計画法によって定められた地区です。 近年、各種開発によって著しく都市の自然が失われつつありますが、「風致地区制度」は、樹林地、丘陵地、水辺地等の良好な自然的景観に富んでいる区域や、良好な住環境を維持している区域、古墳等の歴史的意義のある区域等を「風致地区」として指定し、これにより生活にうるおいを与え、緑に富んだ快適な都市環境を維持しようとするものです。
出典:『大阪府/風致地区について』<https://www.pref.osaka.lg.jp/koen/fuuchi/fuuti_1.html>-2021年7月7日閲覧
帝塚山の地名の由来
帝塚山古墳から西に600mほどのところに、Osaka Metro(大阪メトロ)四つ橋線の玉出駅があります。玉出といえば、元祖たこ焼きの会津屋本店があったりスーパー玉出で有名ですよね。
実は、帝塚山の地名の由来はこの玉出にも関係してそうなのです。
古く住吉近辺は玉出岡と称したことから帝塚山は玉手塚とも呼ばれました。玉手塚の呼称によって手塚山、そして帝塚山として現在の地名の元にもなりました。
出典:『一般財団法人 住吉村常盤会』<http://sumiyoshimuratokiwakai.or.jp/word/word03.html>-2021年7月4日閲覧
正確なことはわかりませんが、ここでの玉出岡というのは、玉出と関係してそうではないですか?
アクセス
※普段は公開されておらず中には入れませんのでご注意ください。
大阪市住吉区手塚山西3丁目31番地
・南海高野線「帝塚山駅」から約100m
・阪堺上町線「帝塚山三丁目」電停から約350m
参考文献
1)『大阪府/帝塚山古墳(てづかやまこふん)』<https://www.pref.osaka.lg.jp/bunkazaihogo/maibun/oldpicture_tezukayam.html>-2021年7月3日閲覧
2)『一般財団法人 住吉村常盤会』<http://sumiyoshimuratokiwakai.or.jp/word/word03.html>-2021年7月3日閲覧
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