政治や政策に絡む話になると、人は平気で人のことを罵倒したり侮辱したり、誹謗中傷したりするようになるように思える。
特にここ最近なのだが、選挙に関連して特定の地域の人や住民、有権者を罵倒したり誹謗中傷したりしている人がネットで見られるようになっている。
その人に対して、「自分の主張が通らないからって、その地域の人を誹謗中傷したりするのはやめようよ」と言ってた人がいた。Aさんとする。私もその意見には大賛成である。
しかし、Aさんは、まったく別の政策の絡む話では、その政策に賛成しない人に対して、「心がすさんでいる」と、心ないことをネットで発言していた。
それについては、少しがっかりしたところではある。もちろん、自分が聖人君子と言う気は毛頭ない。それに人に勝手に期待して勝手に失望することも、その人からすればいい迷惑な話ではある。
そして、どこかで自分もダブルスタンダードのことはやっているであろう。ただ、やはり常に気をつけては行きたいところではある。
それにしても、よく言われる話、「宗教と政治の話はご法度」というのがある。ここで、政治の話を取り上げる。
「政治の話がご法度」というのは、実は政治の話題がご法度というよりも、「政治の話をする人」がご法度というのが正しいのではないかと最近思うところである。
なんでここまで感情に配慮出来ないのかなあとずっと思っていたんですが、どうもその答えは ”正しいことを言っていると(相手の気分を悪くしようと)いつか必ず道は開ける”と本気で信じているフシがあるようです”
出典:「正しいことを言っていると(相手の気分を悪くしようと)いつか必ず道は開ける」と信じて嫌味を言う政治アカウント | いまどきの鉄道サイトの作り方<http://207hd.com/?p=840>-2018年12月5日閲覧
結局のところ、本人は罵倒したり誹謗中傷したりと、他人をディスっていることをあまり意識はしていないのだろうと思う。他人のことは気になるのだけど、自分のことは棚に上げている、ということではないにしろ、無意識なのだと思う。自分は正しいと思ってるのであろう。
人間は感情で動く。合理非合理にかかわらず、判断基準を感情に委ねる。それどころか一時の気分で決めたことに対して後付けで理論を構築することすらある。嫌なこと嫌いなものに対して、それらを嫌悪し、忌避する自身を正当化するためにあらゆる論法を駆使するのだ。by比企谷八幡(6.5巻p133)
— 俺ガイル名言bot (@oregairu__bot) 2015年4月4日
それは、私も同じ話である。気をつけたいものである。
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