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毎年8月15日が近くなると、(国鉄)京橋駅の話を思い出す

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小学生の時に聞いた話で、当時としては衝撃的でした。今でも8月15日が近くなると思い出す話です。

1945年8月14日、終戦の日となったポツダム宣言の前日、国鉄(現JR)京橋駅のホームに1トン爆弾が落ちました。

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(著作権者:↑PON(ウエポン)、ライセンス:CC ↑PON(ウエポン)、<http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/6/69/JR_Kyobashi_station_entrance.jpg

大阪大空襲

1945年の8月14日、B29約150機によって大阪大空襲がありました。大阪陸軍造兵廠(弾薬・武器などの工場)を狙った空襲でした。

この時、国鉄片町線(現在の愛称・学研都市線)の京橋駅ホーム1トン爆弾が落ち、ここに避難していた600人程の人が亡くなられたそうです。

▼現在の片町線(学研都市線)・東西線京橋駅ホーム800pxkyobashitozai_line_home

(著作権者:MASA、ライセンス:CC MASA、<hhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E6%A9%8B%E9%A7%85_%28%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%29#mediaviewer/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kyobashi-Tozai_Line_Home.JPG

しかも、この1トン爆弾は、上にある城東線(現在の大阪環状線)の高架を突き抜けて片町線ホームに落ちたそうです。

▼現在の大阪環状線 京橋駅ホーム
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(著作権者:オナガドリ、ライセンス:CC オナガドリ、<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E6%A9%8B%E9%A7%85_%28%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%29#mediaviewer/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:JRW-kyobashiStation-Platform-Loop.jpg

ちょうど、片町線のホームが城東線の高架の下にあるとのことで、避難にうってつけだったそうです。そこに1トン爆弾が落ちて、600人近い人が亡くなられた。なんてことでしょう。

小学生ながらにショックな話でした。以前から、京橋駅は何度も利用していたので、日常でよく使っていた京橋駅で戦争中そんな悲惨なことがあったのだと。

なぜ京橋駅に?

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寝屋川を挟んで京橋駅の南側、京橋駅と大阪城の挟まれたところに、大阪ビジネスパーク(OBP)があります(上の写真)

このあたり一帯は、終戦まで大阪砲兵工廠があり、陸軍の兵器工場だったのです。大阪砲兵工廠に近いため、京橋駅にも爆弾にも流れ弾が落ちたのでした。

京橋駅爆撃慰霊碑

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▲京橋駅南口

JR京橋駅の中で一番目立たない小さな出口が京橋駅。鴫野西方面への出口です。この南口を出て右に行ったところに、京橋駅爆撃慰霊碑があります

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よく言われるのが、「あと1日終戦が早かったら、こんなことにならなかったのに、、、、」との声です。

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