旧狩勝線ガイドツアーに参加した 2012.10

出所:旧狩勝線ミュージアム内の展示を撮影

JR根室本線は、落合~新得間で狩勝峠という険しい峠を越えていきます。現在は、新狩勝トンネルが開通しこの峠の険しさはだいぶ解消されているのですが、新狩勝トンネルが開通する1966年(昭和41年)以前は、さらに険しいルート(通称・旧狩勝線)でこの狩勝峠を越えていました

この険しい狩勝峠ルートをガイドしていただける見学ツアーに参加しました。

旧狩勝線ミュージアム

かつて落合駅~新得駅間にあった新内(にいない)駅に、旧狩勝線ミュージアムがあります。

この客車がミュージアムです。旧狩勝線ガイドツアーは、このミュージアムから出発となります(ガイドツアー料金に、ミュージアムの入館料金が含まれていたと思います)。

ミュージアム内の様子。なかなか興味深いものがたくさんあったのですが、機会があればまた紹介したいと思います。

狩勝信号場 跡

ガイドツアーは、まず狩勝峠よりも富良野・落合側にある狩勝信号場を見学しました。

狩勝信号場より帯広・新得側にある狩勝隧道(トンネル)跡が国道38号線(狩勝国道)から見えます。

国道38号線側からみた狩勝信号場跡。草木で生い茂っており林になっており、わかりにくいですが、ここに信号場がありました。熊に合わないようにガイドさんに連れられて鈴をつけながら国道38号線から下っていきます。

 狩勝信号場は峠の落合側に設けられた上り方に引き込み線2線と下り方折返し線1線を持つ信号場です。

信号場は単線区間において、列車の行き違いを行う為に設けられた客扱いしない駅です。

 周囲には商店、学校等は無く駅員9家族、保線員21家族の30世帯が生活し、列車や鉄路を守っていました。

昭和41(1966)年10月1日、落合―新得間の新線切替で廃止されました。

2009年2月に経済産業省より近代化産業遺産として旧狩勝線が認定されました。

2009年11月に土木学会推奨土木遺産に認定されました。

出典:現地の説明看板(新得町役場産業課)

上記の説明看板が立っていました。ここは新得町ではなく南富良野町ですが新得町の説明書きの看板が掲示されてました。

この広大な土地に狩勝信号場があり、30世帯も住んでいたとのこと。今は野原となっています。

出所:旧狩勝線ミュージアム内の展示を撮影

なお、旧狩勝線ミュージアムには上記の「狩勝信号場 建物配置図」の展示がありました。

建物の土台、といいますか基礎はところどころ残っていました。かつては賑わっていたのでしょう。

滝川起点119キロポストが残っていました。

狩勝トンネル 跡

狩勝信号場より新得側には、狩勝隧道がありました。この写真は、狩勝信号場側からみたもの。

こちらは、新得側から見た写真。

隧道内は25/1000という急勾配が続くため機関士は排煙と熱気に苦しめられ続けました。その隧道の環境改善策として昭和23(1948)年11月に遮風用の垂れ幕が新得側出口に設置されました。操作は上り列車後部が隧道に入り切ったと同時に入口上部に引き上げてある厚手のシート造りの垂れ幕(ウェイト付き)を瞬時に下げて入り口を塞ぎます。これにより排煙を列車後部に吸い寄せて排煙などがまとわりつくのを防止する装置です。24時間体制で保線係員が操作していました。

出典:狩勝トンネル(新得側)現地の説明看板(新得町役場産業課)

25‰(パーミル)という急勾配を機関車が上ると、煙が前へ進んで列車が煙で包まれ、機関士が大変なことになります。その煙が前へ進むことを避けるために、狩勝隧道では下り側の入口(新得側)に幕を設置していました。

【参考】:‰ パーミルとは

1000m進んで何m上下したかを表す単位。44‰なら1000m進んで44m下がることになります。

急勾配で知られる南海高野線 高野下~極楽橋間や神戸電鉄・叡山電鉄など山手を走る鐡道で最急50‰ですから、相当な勾配であることがわかります。

出典:【新難波駅は地下50m級、44パーミル!?】なにわ筋線の具体的な建設計画案が出てきたのでご紹介します | いまどきの鉄道サイトの作り方<https://207hd.com/?p=5576>-2019年8月6日閲覧

その幕を設置していた枠組みの一部がトンネル入り口周辺に残っています。

狩勝隧道 ~ 新内隧道 間

ハエタタキと呼ばれる鉄道用の通信や電線ケーブルの電柱が残っています。通信線の電柱はトンネルを潜らずに山を越えていました1)

「ハエタタキ」とは、ひと昔前の頃の線路脇に立ち並んでいた電柱のことで、それに単芯ケーブルが幾本も渡されて駅間を結び、鉄道電話などの通信に利用されていた。この形状は駅が多い幹線の電柱になると腕木(横棒)が長くなり、さらにその本数も増えるため、ここに付いた碍子とも相まったこの形が蝿叩きに似ていたことから、こんな俗称が付けられた。しかし、通信ケーブルの多芯ケーブル化により徐々に数が減り・・・(省略)

出典:札沼線沿いに今なお残るハエタタキ | 鉄道旅のガイド<http://www.rail-travel.net/archives/2706>-2019年8月6日閲覧

「ハエタタキ」と呼ばれる鉄道施設が存在することは、このガイドツアーのガイドさんに教えていただくまで知りませんでした。ガイドツアーって良いですね。

日本三大車窓」の一つでもあり、「車窓の世界三大展望」の一つでもあった狩勝峠。この狩勝峠の車窓も新線に切り替えられたため、消滅してしまいました。

なお、日本三大車窓の残り2つは以下の通りで、狩勝峠と異なり残り2つは現存しています。

  • 篠ノ井線 姥捨付近(長野県)
  • 肥薩線 矢岳(熊本県・宮崎県)

ダイナミックな景色に、当時の旅客は感動していたのでしょうね。やはり、鉄道は車窓が大事なのかな。

なお、狩勝峠は約90年前に選定された日本八景の一つにもなっています。

日本八景は以下の8つです2)

  • 狩勝峠(北海道)
  • 十和田湖(青森県・秋田県)
  • 華厳滝(栃木県)
  • 上高地渓谷(長野県)
  • 木曽川(愛知県)
  • 室戸岬(高知県)
  • 別府温泉(大分県)
  • 温泉岳(長崎県)

新内隧道 跡

狩勝信号場~新内駅間にあった新内隧道(トンネル)。写真は新内(新得)側から。

現在でも竣工時のままの外観で保存されているところが特徴です。
トンネルの下半分は御影石、上半分はレンガ造りの立派なトンネルです。

出典:鉄道歴史研究 – 根室本線旧線 新内隧道(狩勝信号場-新内間) – 狩勝高原エコトロッコ鉄道<http://ecotorocco.jp/railhistory/niinai_t/>-2019年8月6日閲覧

トンネル内部は崩落しています。天井に穴があいて上部の土砂が流入しています1)

大カーブ 跡

新内隧道~新内駅間には、大カーブがいくつもありました。

官設鉄道十勝線(旧狩勝線) 大カーブ

 大築堤(延長480m・法長60m)と長大曲線(延長770m)で通称大カーブと呼ばれる馬蹄形状のカーブです。
大カーブは、線路を曲線で長くして勾配を緩くする手法をとったが、25/1000という急勾配です。曲線半径も181mの急曲線であり、そのため脱線防止レールも敷設されていました。列車は、急曲線と急勾配のため時速40キロの制限があり、慎重な運転を求められる機関士泣かせの難所でした。保線作業でも除雪はラッセル使用不能で人力手作業しか通用しない苦労の多い曲線でした。
昭和41(1966)年10月1日、勾配もカーブも緩くなった新線への切替で廃止されました。

出典:現地の説明看板(新得町役場産業課)

当時どのような様子だったかは下記のサイトでよくわかります。

鉄道歴史研究 – 根室本線旧線 大カーブ(狩勝信号場-新内間)その1 – 狩勝高原エコトロッコ鉄道

線路の部分は、周辺よりも1段高い築堤(盛土)となっており、周辺を見下ろせてたようですが、現在は樹木がかなり成長して見通し・眺望がが大変悪くなっています。

かつては景色がよかったのでしょうね。

[参考文献]
1)鉄道歴史研究 – 根室本線旧線 新内隧道(狩勝信号場-新内間) – 狩勝高原エコトロッコ鉄道<http://ecotorocco.jp/railhistory/niinai_t/>-2019年8月6日閲覧

2)「日本八景」選定90年:谷崎潤一郎、横山大観らの審査委員 13時間の大討論 – 毎日新聞<https://mainichi.jp/articles/20161227/mog/00m/040/016000c> -2019年8月6日閲覧

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