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もうすぐ撤去?明治時代の東海道本線の痕跡が残る、阪急千里線・新神崎川橋梁

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阪急電鉄京都線・千里線(淡路駅付近)連続立体交差事業により、撤去が進む阪急千里線の新神崎川橋梁を見てきました。

かつて東海道本線の一区間、現阪急千里線・京都線のルートだった

東海道本線 吹田~大阪間のかつてのルートは、現・阪急下新庄駅、現・阪急淡路駅、現・阪急崇禅寺駅のルートを経由していました(青色のルート)。※現・崇禅寺駅より大阪側では、一度ルートが変更になっています。 pic.twitter.com/jF1DgLuTzN

— ぶるーばーど@パイン味のアメいかがですか (@pinenoame) 2018年1月27日


今のJR京都線(東海道本線)は、吹田~大阪間では東淀川駅・新大阪駅を通るルートになっていますが、かつては今の阪急下新庄駅・淡路駅のルートを通っていたのです。

”吹田~大阪間の路線は、1913(大正2)年にルート変更され、廃線跡は新京阪電気鉄道(現在の阪急電鉄千里線)に払い下げられた。このため、阪急電鉄千里線の吹田~下新庄間には、東海道本線時代の構造物が今なお残っている”

 

出典:小野田滋『鉄道構造物探見』、p.9

その東海道本線時代の構造物で残っているものの1つが、神崎川に架けられた新神崎川橋梁の遺構です。


新神崎川橋梁

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東海道本線時代の構造物が残っている新神崎川橋梁、橋桁の撤去が進んでいます。現在は隣(写真奥)にできた仮橋梁を阪急電車が走るようになっています。

阪急千里線の高架化の際は、撤去が進む旧線の新神崎川橋梁の位置に新しい橋梁が作られる予定のようなので、この東海道本線の遺構は完全に撤去されるものだと思います。

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左が今まで阪急電車走っていた阪急千里線新神崎川橋梁、右が現在阪急電車が走る仮橋梁です。

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実は、橋脚の形状がバラバラ。

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この中で、嵩上げされている橋脚で下部の円柱のレンガ積のものが、東海道本線時代の構造物だそうです。

”上神崎川にはかつて支間100フィートのポニーワーレントラスが架かっていたが、廃線とともに撤去され、新京阪電鉄の敷設時には橋脚を追加して支間33フィートのプレートガーターとした。煉瓦積みの円形ウェル2基に支えられた橋脚が東海道本線時代のオリジナル、その間の2基の橋脚が大正時代に追加された橋脚である。”

 

出典:小野田滋『鉄道構造物探見』、p.9

”この神崎川に架かる鉄橋で注目すべきは、最基部が円筒形になっている橋脚で、これが明治9年の開業当時のものである。それ以外の橋脚は後年に追加されたもので、橋脚が追加される前は、径間100フィートの桁が架かっていた。”

 

出典:宮脇俊三編『鉄道廃線跡を歩くX 完結編』p.152

東海道本線時代は100フィート(約30m)径間がとんだ橋が架けられていたようで、新京阪(今の阪急千里線)になってからは支間約10mの橋に架け変わったようです。

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下新庄側の橋脚と橋台。

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この後脚も古そうだが、東海道本線時代ではなく新京阪に払い下げられてからのものだと考えられる。

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円筒形になっている橋脚以外は後年に造られたと書籍には書かれているが、橋台については何も書かれていない。しかし、どうも東海道本線時代の橋桁は今よりも低い位置に架かっていたようです。

”当時の橋は 円形の橋脚の高さに架かっていたようです。今よりだいぶ低い位置ですね。  その後 北大阪鉄道(現阪急)が元東海道線のルートを譲り受けて千里線を敷設する際、防災の観点から 橋を当時より高い位置に架ける必要が出てきた。 動力船の時代になり 川には頻繁に船が行き来、大型船の往来を可能とするため浚渫工事が行われ 水深だけでなく川幅が広くなり、安定した水量を保持できるようになった。護岸工事も行われた。”

出典:神崎川に架かる鉄橋の橋台は、日本鉄道史最古級の遺構
ゲストハウス そらうみ日和
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下新庄側の河川敷から、橋脚を見ます。

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橋脚の種類が複数あるのがわかります。下部がレンガ造りになっているのが、東海道本線時代の構造物です。このレンガ造りの天端あたりに橋桁が架かっていたのでしょうか。

仮橋梁を走る、大阪市営地下鉄堺筋線の車両。大阪市営地下鉄は「Osaka Metro」という名前になることが決まりました。

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吹田側からみた新神崎川橋梁。

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台船で撤去作業が進んでいます。明治9年(1876年)時代の遺構を見に行くには、今でしょ

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