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[大阪] 大正橋と大地震両川口津浪記

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難波から千日前通を西へ、大正区や港区方面へ向かう際に通る橋が大正橋です。

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大正橋

大正区の名前の由来にもなっている大正橋。木津川に架かる、千日前通の橋です。

知らない人も多いのではないかと思います。この大正橋、実は歩道面がピアノの鍵盤になってるんですよ。

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そして、歩道と車道の境界には、メトロノームが!

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欄干には楽譜がデザインされています。


大正橋の歴史

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西詰の北側には大正橋の歴史が書かれています。

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今の大正橋は2代目。初代大正橋は当時日本では最長のアーチ橋だったそうです。大正4年に架けられました、だから大正橋という名前なんだとか。

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戦後、変形と揺れがひどかったため、昭和49年に架け替えられました。

大正橋からの景色

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橋からは大阪ドームや、ビバホーム、イオンモール大阪ドームシティが見えます。

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橋より南側を望むと、JR大阪環状線の木津川橋梁があります。珍しい四角い鉄橋です。1928年(昭和3年)に、当区間が関西本線の貨物支線として今宮駅~大阪港駅(現在の中央線大阪港駅とは全く別の駅)が開通した際に造られたものです。

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西詰にある大正橋交差点。ここから大正区内へ大正通が伸びています。大正区へ入るルートは他にもありますが、メジャーなのはここから入るルートです。大正橋は大正区の玄関口として成り立っている感じですね。奥には大正駅があります。

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東方向は難波方面です。奥には阪神高速堺線の高架橋が見えます。

大地震両川口津浪記

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東詰の北側にはちょっとした広場があります。

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石碑「大地震両川口津浪記」です。1854年(嘉永7年/安政元年)の安政南海地震の際、大阪を襲った津波の被害と教訓を記したもので、安政2年に建立されたものです。

発生した津波が道頓堀を逆流し、道頓堀に架かる橋は崩れ落ちたそうです。東横堀川のあたりまで1.4mの泥水が流れ込んだとのこと。

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石碑には、いつまでも文字が読みやすいように毎年墨を入れて欲しいと書かれています。文字が薄れないように(津波被害の記憶が薄れないように)ということです。

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実際に地域の人達によって墨入れが行われているそうです。150年以上、石碑の精神が受け継がれています。

実際に書かれている内容は、わかりやすい看板にも書かれています。

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なぜこの碑が建てられたかというと、この安政南海地震がおこる150年前、宝永地震の際にも津波が発生し、小舟に乗って避難したことでなくなった方が多かったそうです。

このことを忘れて今回(安政南海地震)も小舟に乗って避難したことで亡くなった方が多かったことから、このことを後世に伝えるために建てられたとのこと。

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この広場には、他にも安政南海地震の津波に関することが掲示されています。

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初代大正橋に関する新聞記事?も貼られていました。

[交通アクセス]
・JR大阪環状線・大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線「大正駅」より徒歩5分、
・大阪市バス「大正橋」バス停より徒歩4分

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