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思い込み・勘違い・偏見を避けるためになすべきこと

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外から客観的に見ると、「あ、あの人、思い込みでしゃべってるな」とわかるものなのですが、イザ自分が当事者になると、なかなか思い込みから逃れられないものですよね。

でも、思い込みって良くないことなのは確かです。自分がただ気持ち良ければいいとか、そういう話ならばどうぞご自由に、ということではありますが、他人と情報共有したり、何かを薦めたり、議論したりする際に思い込みでしゃべってしまい事実と異なることを広めてしまうと、他人にも迷惑をかけてしまいます

なかなか逃れられない「思い込み」「偏見」ですが、それを避けるために私が心がけていること、定期的に頭に入れておきたいこと、を紹介します。

相手も合理的な人間

どうも相手が不合理なことしている、おかしい。相手の考え方、行動に納得できない。自分は合理的に考えている・動いているのに、相手はなんであんな不合理なことをやっているんだろう。

こういったことはよくあると思います。でも、実は相手も合理的に動いている人間なのです。

  • 自分にとっては不合理に見えても、相手の立場では合理的である
  • 相手はこの考え・行動が合理的だと考えている
  • 自分の考えが実は間違っていて、相手の考え・行動が合理的である

主にこの3つに集約されると考えています。「相手の考え方がおかしい」と直感で思ってしまう前に、少し冷静になって相手の立場で物事を考えてみると、自分が見落としていた違った視点・考え方が見つかるかもしれません

「面白かったでしょう。相手は敵ではなく、『合理的な人間』なのです。それを忘れなければ、対話の道は残されています。」

出典:『「仕事ができるやつ」になる最短の道』p.108

「事実」「解釈」「意見」「推測」を区別する

これを気づかせてくれたのは以下の記事です。

それでは「セブンイレブンは大手企業です」は事実でしょうか、解釈でしょうか?

……

こちらも読者諸兄の方にはすぐに分かってしまうかもしれませんが、もちろん、これも解釈です。「大手」という言葉が何を指すのか、人の主観が入っているからです。

「いやいや、それは屁理屈だろう。スターバックスは実際に人が多く入ってるし、セブンイレブンは大手企業と言って反対する人は殆どいないはずでしょう。」

という方もいるかもしれません。

もちろんそのとおりです。私もおっしゃる通りに感じます。

しかし「事実」は人によって異なる判断を生まないものなのです。

出典:『「事実」と「解釈」を明確に区別しない会議は、恐ろしく効率が悪い、という話。 | Books&Apps』<-2020年10月28日閲覧

事実とそれ以外(例えば、解釈とか意見とか推測とか仮説とか想像)をごっちゃにして考えたり議論すると、話がかみ合わなかったり、論点ずらしになったりまったく生産性を生まない無駄なものになりかねないです。

大阪市民である私が今もっとも興味があるのが、2020年11月1日に行われる大阪市廃止・特別区設置(いわゆる大阪都構想)の住民投票です。

この大阪都構想について、区別してみますと、

  • 2020年11月1日の住民投票が可決されると、大阪市は廃止になり特別区が設置される → 事実
  • 大阪都構想でOsaka Metroの株式が4特別区に分割される → 事実
  • 大阪都構想は大阪市の広域行政を大阪府域に広げるもの → 解釈
  • 大阪都構想で「大阪市」がなくなるのは複雑 → 意見
  • コロナ禍では、住民投票よりコロナ対策を → 意見
  • 大阪都構想で住民サービスが良くなる → 推測
  • 大阪都構想で住民サービスが低下する → 推測
  • 大阪都構想で大阪の成長がスピードアップする → 推測
  • 大阪都構想でOsaka Metroの株式が4特別区に分割されと事業が滞る可能性がある → 推測

何も、推測がダメというつもりは私はありません。むしろ推測は大事だと思っています。事実だけでは話は進みません。将来への展望だとか希望だとか、その先にあるものを見据えて考えていく、推測や仮説を考えて意見をぶつけて議論していくとはとても大事だと思います。

ダメなのは、事実と解釈、意見、推測をごっちゃにして考えることです。

住民投票前に5年前のような酷いこと(解釈)がネット内で見られるようになってきたのですが、この「事実」「解釈」「意見」「推測」を区別できていない(推測)が、大きな問題かと思っています(意見)。

「確証バイアス」の存在を意識する

「確証バイアス」とは、認知バイアスの一種で、自分にとって都合のいい情報ばかりを無意識的に集めてしまい、反証する情報を無視したり集めようとしなかったりする傾向のことをいいます。最初に思い込みがあると、多様な情報があっても、最初の考えを支持するような情報ばかりが目に付いてしまうのが確証バイアス。ビジネス、SNS、医療、政治、科学、雇用など、実生活のさまざまなシーンで散見されます。

出典:確証バイアスとは――意味と例、都合のいい情報だけを無意識的に集めない対策は – 『日本の人事部』<https://jinjibu.jp/keyword/detl/1144/>-2020年10月29日閲覧

簡単に言えば、客観的に事実を検証しているつもりが、自分が信じている・思い込んでいる・都合の良い情報ばかりを無意識に集めてしまい、偏った考え方になってしまうことです。

例えば、大阪都構想。賛否両論ですが、

  • 賛成派:メリットばかりの情報を集め、デメリットの情報を軽視し耳を傾けない
  • 反対派:デメリットばかりの情報を集め、メリットの情報を軽視し耳を傾けない

もちろんすべての賛成派・反対派の人がそのようなことをしているとは断言しませんし、そんなことないと思っています。しかしながら、この確証バイアスに陥っている人が実際にはかなりいるんじゃないかと私は推測しています(そして自分も陥っているかもしれません)。

確証バイアスは、いったんバイアスにかかってしまうと抜け出すことが難しいと言われています。「確証バイアス」が人間の心理として存在することを理解し、常に自分の頭で意識しておくことが何よりも大切であると、考えています。

なお、確証バイアスに近い概念として、「正常性バイアス」というものがあります。上記の私の考えは、下記記事のBEのぶさんの考えがリスペクトして考えてみました。

予期せぬ災害が起こった時、みんな慌てて逃げようとする…映画かドラマにありそうなシーンですが、実際は

「自分は大丈夫!」

と事を過小評価し、結果的に「何もしない」ことが多いといいます。

これを、「正常性バイアス」と言います。

・・・<中略>・・・

私が思ういちばんのクスリは、、「正常性バイアスというものが人間の心理として存在する」ということを理解し、常に意識しておくことでしょうね。そうでもないと、やはり本能には逆らえないから。

出典:『新型コロナウィルスと正常性バイアス』<https://yonezawakoji.com/chinesewuhanvirus_and_normalcy-bias/>-2020年10月29日閲覧

感情に振り回されないこと

人間は感情で動く。

合理非合理にかかわらず、判断基準を感情に委ねる。それどころか一時の気分で決めたことに対して後付けで理論を構築することすらある。

嫌なこと嫌いなものに対して、それらを嫌悪し、忌避する自身を正当化するためにあらゆる論法を駆使するのだ。

どれだけ論理立てて説明しても、違う論点を持ち出してくる。わざわざソースを引っ張ってくるまでもない。

<中略>

「気に入らないと思われたら、いくらこっちの言ってることが正しくても感情で批判され続けるってことだよ」

シンプルすぎるほどの答えだ。あまりに単純明快すぎておよそこの世の心理といってもいい。俺の言ったことに誰も反論しなかった。

出典:『やはり俺の青春ラブコメは間違っている。』 6.5巻、pp.133-134

人の癇にさわるようなこと・発言をしてしまったら、「正しい」ことを言ってもまったく理解してもらえなくなるってことです。とても、損な話です。

これは裏返せば、受け取る側は感情的になってちゃんと正しく判断できなくなってしまう、いくら正しいことでもそれを拒否してしまうという可能性があるということでもあります。

1.人は、基本的に間違いを認めない。事実の解釈を変えるほうが得意である。

2.間違いを指摘すると「私は嫌われている」「この人は失礼だ」と解釈されてしまう可能性もある。

特に、2.は致命的だ。以前、こんな記事を書いたことからもわかるように、「まっとうな人」であっても、迫害を受けてしまうかもしれないのだ。

出典:『は自分の信念に反する事実を突きつけられると、過ちを認めるよりも、事実の解釈を変えてしまう。 | Books&Apps』<https://blog.tinect.jp/?p=51318>-2020年10月28日

さらに逆説的に考えれば、いくら誤ったこと・間違ったことを言っている人がいても、その人への印象がよければ、合理非合理にかかわらず、判断基準を感情に委ねる。そして、後付けで理論を構築し、好きなもの・気に入ったものに対して、それらを愛好し、容認・賛同していくってことでもあるということです。

私もよくこれに陥ってしまいます。感情的にならず一歩引いて、冷静に・理論的に考えることが、思い込み・勘違いを防ぐことであると、私は心がけています。

クリティカルシンキング

「クリティカルシンキング」とは「批判的思考」という意味です。

「自分の資料は完璧だ」と思ってしまうと、それ以上の改善をすることができず、結果としてアウトプットの質が下がっていってしまいます。また、人の言うことを鵜呑みにしてしまうことも、改善をとめてしまう理由のひとつになります。

また、自分のビジネスや考えが絶対的に正しいと思ってしまうので、結果的に周りの人のことを否定したり、アドバイスを聞き入れる余裕がなくなっていきます。

「アウトプットの質が低いにも関わらず、傲慢になって周囲からの信頼をどんどん無くしていってしまう人」の出来上がりです。

出典:「クリティカルシンキング」の重要性と、身につけるための3つの口グセを紹介する | Outward Matrix<https://www.outward-matrix.com/entry/20170831193000>-2020年9月29日閲覧

人間は脳の仕組み上、本質的に思い込みの虜であり、そう簡単に思い込みから逃れることはできない。 だからこそ「自分は知らず知らずのうちに、思い込んでいる」との健全な自己批判ができなければ、簡単に「頭の悪いやつ」になってしまう。「思い込みは、無能の始まり」だ。”

出典:『思い込みは、無能の始まり。 | Books&Apps』<https://blog.tinect.jp/?p=25165>-2020年10月16日閲覧

世の中には絶対はない」ということを理解とすことが大事だと考えています。

逆にです、「○○さんの言っているのだから絶対正しい」と思いこんではいけません。また、周りに人から「そんなこと無理」と言われて落ち込んだ場合でも、その批判が正しいとは限りません。

「権威に頼った物言い」をしない

我々は成功者の言うことを盲信しがちだが、認知心理学的にはそれは『後知恵バイアス』と呼ばれるバイアスの一種である。

「成功者の言うこと」「権威の言うこと」は、正確な記憶に基づくものとはいえないことも多いと知るべきだ。

出典:『「話が浅い」とはどういうことか。 | Books&Apps』<https://blog.tinect.jp/?p=25686>-2020年10月5日閲覧
  • ○○さんが言っているから正しい
  • ○○(組織・団体)だから間違いない

このような意見ってよく聞きますよね?いや、私もよくこの考え、やってしまうんです。特に難しい話とかね。

でも、成功者や大物、重鎮、専門家のいうこと全てが正しいとは限りません。中には勘違いしていることもあります。全知全能の人なんていないのです。特に、解釈のともなう話だと、絶対正しい考えなんてありません。

もちろん物事の考える中で参考にするのは良いと思います。でも、大切なのは本質的な中身のことを考えることです。「他人の意見・考えに惑わされない、飛びつかない」、これが大切だと思っています。

根拠をしっかり調べること

そうではなく、問題なのは複数の情報源を当たらないことだ。webで調べてもいいし、文献をあたっても良い。専門家に聞きに行っても良い。「浅い話をする人」とにかく「情報を信じ過ぎる」のだ。

人を疑わないのは美徳ではあるが、テレビは間違うし、webは正確な情報が書いてあるとは限らない。専門家は自分に都合よく解釈することも多い。

様々な文献をあたって、自分なりの見解がイメージできるくらいでなければ、「浅い」話に終始する。

出典:『「話が浅い」とはどういうことか。 | Books&Apps』<https://blog.tinect.jp/?p=25686>-2020年10月5日閲覧

ネットでも現実世界でも、その考え・情報は間違っているのに正しいと思い込んでいる人、よく見ます。

客観的に一歩引いて冷静に外側から見る立場だと、そのような事象はよく見えるのですが、いざ自分が当事者でその中にいると陥ってしまう話です。

なぜ「その」情報を信じるのかを考える

例えば、分かりやすい藁人形として、「既存メディアに対する不信」というバイアスがあります。

新聞は信用出来ない。テレビは信用出来ない。政府の発表は信用出来ない。なるほど、そうかも知れません。

ただ、ならば何故あなたは、今webで見つけた「その」情報を信じるのでしょう?

その情報を発信した人は誰ですか?信頼出来る人ですか?その情報を発信することで、なにかしら利益を受ける人ですか?新聞よりも、テレビよりも信用出来る情報ソースなのでしょうか?

出典:『あなたは何故、どういう基準で、その情報を信じるのですか? | Books&Apps』<https://blog.tinect.jp/?p=37420>-2020年10月5日閲覧

一言で言えば、「人は、良し悪し(善悪)の判断を述べる人を強く信用し、また強く嫌う」のだ。

だから、コンサルタントや専門家がむずかしい顔で言う

「慎重に判断すべき問題ですね」

「検討すべきですね」

「意見交換が必要だと思います」

「模索していく必要があります」

「あくまで可能性です」 など、煮え切らない「慎重な」意見は、いくら正しかろうが、あまり重視されない。

出典:『「言い切る人」が強すぎる。 | Books&Apps』<https://blog.tinect.jp/?p=65346>-2020年10月25日閲覧

意外と人っていい加減なモノなんだと思っています。実はなんでそれを信じるているのですか?と聞かれたら、ちゃんと答えられることって少ないんじゃないかと思います。むしろ痛いところつかれたら、ムキになったりしている人っていませんか?いや、たぶん自分も人のこと言えません。

それに、人は強い言葉で言い切る人を信用してしまう傾向にあると思います。なんか、根拠ありそうに見えてしまいますもんね。優柔不断な人ってなんか、今一つ信用できない感じがありますもんね。でも、強い言葉で言い切ることと、物事の正しさなんでものは全く別の話です。

逆に、

  • ○○さんが反対してるってことは、やった方がいいってことなんだろうな

なぜその情報を信じないのか、というのも立ち止まって考える必要があると思ってます。

パラダイムを意識する

”私たちは、世界をあるがままに見ているのではなく、私たちのあるがままの世界を見ているのであり、自分自身が条件づけされた状態で世界を見ているのである。……(中略)……相手と意見が合わないと、相手のほうが間違っていると瞬間的に思う。”

出典:完訳 7つの習慣 特装版 人格主義の回復、P.27

例えば、人でも組織でも団体でも良いです。仮に組織としてみましょう。明らか事実と間違ったり不誠実な資料・チラシを出している組織があるとします。その組織が、また別の資料を出していたりすると、あなたはどう思うでしょうか。

その組織をよく知らない、無関心であるといったケースを別として、大きく2つに分かれるのではないかと思います。

その組織に良い印象がある場合:確かにこの資料・チラシは良くないけど。誰にでも間違いはある。これは良くないけど、他の資料は大丈夫。この組織がやっていることは概ね間違っていないから大丈夫。そんな細かいことはどうでもいい。

その組織に対して悪い印象がある場合:その組織が出している他の資料・チラシも実は虚偽にまみれているのではないかと考えてしまう、疑ってしまう。その組織の他の行動もいいかげんではないあと思ってしまう。

しかしながら、それまでの印象だけで、別の資料の正しさ・間違いがわかるわけはありません。判断材料の一つにはなるかもしれませんが、正しいか間違いかはあくまでその資料やチラシ自身の根拠やソースなどでしか判断できませんよね?

世の中、賛否両論ってよくあると思いますが、実は多くのものが中身をよくわかっておらずそれまでの印象で物事を類推しているのではないでしょうか。特に解釈の話になると、そもそも正しい・間違いなんて明確に判断すらできず、自分の都合の良い考えにもっていきやすくなりますよね。

人は誰しも、過去の経験や知識を参照して世界を見ている。どんなに「自分は客観的な人間だ」と信じる人でも「事象を自分が見たいように見ている」という呪縛からは逃れられない。

出典:『まんがでわかる7つの習慣』P.24

「分かりやすい悪役がいる話」に注意する

ただ、「分かりやすい悪役がいるニュース」については、特にガードを高くすることを徹底すべきだ、と私は考えている。

理由は二つある。

・「分かりやすい悪役がいるニュース」は、感情を煽る力が高く、物凄い勢いで拡散されてしまうケースが多いから。
・「分かりやすい悪役」が実際にはおらず、単に誤報か、あるいは情報の偏向であるケースが割と多いから。

前者の理由については、皆様経験則としてご存知なのではないかと思う。分かりやすい悪役を見て、正義感を煽られてしまう人は非常に多い。彼らは、瞬間湯沸かし器の様に頭を沸騰させた上で、ソースの確認なく情報をがんがん広めてしまう。

出典:『「分かりやすい悪役がいる話には一見で飛びつかない」ルールを皆様導入するべき: 不倒城』<http://mubou.seesaa.net/article/229939386.html>-2020年10月5日閲覧

本当にそんな敵や悪役がいるの?実は仮想敵なのでは?という話もよくあるかなと思います。感情を煽るといいますか。

いざ自分が当事者で感情的になってしまうと、この状況に陥ってしまいます。やっぱり、冷静になることが大事ですよね、本当に。。。

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