9月14日に参加した、大阪市交通局主催『まち・再発見・ぶらりウォーク』の第1回・【庶民のまちをぶらりあるき】の後編です。
前編はこちら→(前回記事)
個性的なポスターで有名な文の里商店街を抜けた所から、後編を始めます。
文の里駅
文の里商店街を抜けると、阪神高速松原線の高架があり、その地下には地下鉄谷町線の文の里駅があります。昼間の谷町線の八尾南方面は、半数が文の里止めなので、文の里の名前は有名だと思います。
谷町線ができる場所には、この場所に南海電鉄の軌道線として、恵美須町・天王寺駅前(どちらも現阪堺)~平野(現在の、JR平野駅と地下鉄平野駅の中間あたり)を結ぶ『平野線』の文ノ里停留所がありました。
大阪市立工芸高校
近代化産業遺産に指定された貴重な校舎があります。
立派な建物です。
JR阪和線
ずっと東へ歩くと、JR阪和線の高架が見えてきます。北側には美章園駅があります。
大山顕さんが高架下建築としてテレビで紹介してたハズ、、、
ネットで調べたところ、実はこの高架、昭和4年(1929年)に京阪系の鉄道会社である阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)が開業した当時からある高架橋だそうです。かなり歴史の古い構造物なんですね。
府道26号大阪高石線(未開通)
未開通の大阪高石線を北上します。近鉄南大阪線と交差。近鉄線の高架は1980年代に完成しましたが、当時から府道大阪高石線との交差を考慮に入れて建設されたようです。
府道の方は未だ完成してませんが。
国道25号(新道)と交差します。この桑津2丁目交差点、特別何かある交差点というわけではないのですが、ぶらり歩きの経由地として挙げられていたので、なんとなく写真を載せました。
国道25号(本線)と一部未開通の府道大阪高石線との交差点である、林寺2丁目交差点。府道大阪高石線の起点となっています。ここから先は生野区に入ります。
疎開道路
公式な通称ではないのですが、大阪では昔から「疎開道路」と呼ばれている道路。
第二次世界大戦中に、空襲による火災の延焼を防ぐために空地が作られ、そこの住民も建物も強制的に疎開させられました。戦後、その空地を道路として利用することになったことから、疎開道路と呼ばれています。
生野区西部
途中、疎開道路から西側に平行する道路を北上します。大阪の主要な道はほとんど抑えているつもりでしたが、こんな道路があるとは知りませんでした。工芸高校以降、この辺りは特に名所がなく、ひたすら歩くだけ。あべのハルカスが見えます。
六万体町(谷町筋)~北巽駅(内環状線)を結ぶ、勝山通と交差します。勝山通の由来となっている御勝山古墳は、この近くにあります。
トイレのある休憩ポイントとなっている桃谷公園です。スタートの西成区役所前から歩き始めて、1時間45分。ゴールの今里までは、あと少しです。
コリアタウン(御幸通商店街)
韓国食料品店や飲食店、民族衣装の店などが連なっています。
私は初めて来たのですが、かなり賑わっていました。やはり、韓流関係のショップが多かったです。
商店街を抜けると、平野川に架かる橋を渡ります。
今里筋
大阪市東部を南北に縦断する幹線道路「今里筋」に出ました。ゴールの今里駅までは一直線!あと少しです。
猪飼野橋交差点
かつてこのあたりは、猪飼野(いかいの)という地名でしたが、1973年に住居表示変更で地名が消滅し、猪飼野という名称はほとんど名前が残っていません。中世では四天王寺の荘園地となり、猪養野荘(いかいのしょう)と呼ばれていたそうです。
ここには猪飼野橋という橋がありましたが、それも川の埋め立てで消滅し、交差点とバス停名として残っています(交差点付近が盛り上がっているのは、かつて橋だったということなんだと思います)。
今里
今里交差点が見えてきました。今里交差点は、千日前通・長堀通・今里筋が交差する五叉路で、大阪市東部の道路交通の要所です。ゴールの今里駅は、交差点の地下にあります。
私の親が以前、今里周辺に住んでいたそうですが、昔は映画館が3つもあるなど、今では考えられないくらい賑わっていたそうです。
参加者は184人だったそうです。
記念品など
参加の記念品として、地下鉄千日前線のペーパークラフトがもらえました。千日前線は今年で開業45周年だそうです。
そして、なんと抽選に当たって、ぴたポンのマフラータオルがもらえました!おぉ~!!
おまけ
天気がよくて、よかったです。この日は、ウォーキング以外もいろいろいったのですが、朝測った体重62.5キロが、家に帰ると61.1キロになってました。1.4キロ痩せました。
最近、本当にダイエットしないといけないな~と思っているので、いい運動になったと思います。
次回のぶらりウォーク「絶景の空中散歩を楽しむ」は10月18日にもできたら参加したいと思っています。
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